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日本の住宅の歴史
1.住宅とは?
日本の住宅の歴史をひも解く前にそもそも住宅とは何かということについて考えてみたいと思います。住宅を物質的に言えば、”人が住まうための箱”となる思います。その箱は、風雪雨や外敵から身を守ることができ、暑さ寒さを軽減し、安全に安心して暮らしていけることが必要です。またその箱には、人が生きていくために最低限必要な食事をとったり睡眠をしたりといった生理的に必要な機能が備わっていることが必須条件となると思います。物質的な定義を上げればこのようなものになるかと思いますが、住宅にはそれだけではなく、家族と共に過ごす幸せの舞台としての意味や自己実現としての意味など、心理的な意味合いも含まれていると言えると思います。
つまり住宅とは、安心安全快適に住まう箱であり、そこに住まう人々を物心ともに豊かにするもの、と言えます。
2.日本の住宅の歴史
2-1.古代の住宅 現代の住宅は原始的!?
では、そんな住宅が歴史とともにどのように移り変わってきたのかをお伝えしていきます。
まず、日本で最初に”住宅”と言える存在が現れたのは縄文時代から弥生時代くらいと言われています。竪穴式住居と言われる、竪穴を掘りその上に屋根をかぶせただけのシンプルな住宅です。私たちの事業エリアでは、静岡県の登呂遺跡で竪穴式住居が見られます。登呂遺跡の住居を見てみると、柱を立ててその上に梁を渡す架構式構造をしており、現代の日本の木造住宅の多くで見られる軸組工法に通じる造り方がなされています。
また、同様の時代に高床式の住居も存在していたことがわかっています。これは、柱を立てて床を地面よりも高い位置に設けることで通気性を良くし、土壌からの湿気の影響を受けにくくしています。住居としては首長など集落の位の高い人が住み、また祭壇や倉庫など住居以外としてもこの形式の建て方がされていたようです。こちらも、現代の住宅の造りで言えば床下空間を設けて造ることに似ていて、やはり通じるものを感じます。
これらから、すでにこの時代には現代の木造住宅の原型とも言える造り方がなされていたように思います。意外にも私たちの住宅は原始的な造りをしていると言えるのかもしれません。
2-2.中世から近代の住宅
そこから一気に時代は飛びますが、平安時代には寝殿造が,室町時代には書院造といった建築様式が誕生し、先述の柱を立ててその上に梁を乗せて空間をつくる軸組工法と呼ばれる構造での進化が進んできました。寝殿造であれば歴史のある神社仏閣などで現在にも残るものはありますし、書院造であれば一般住宅であっても和室の床の間などにその名残りを見ることができます。
それらの造り方は、主に貴族や武家社会で広がったものですので、庶民の住宅はそれとは異なる様子だったようです。庶民の住宅はというと、建物面積の三分の一から半分くらいの面積を土間とした造りで、その土間で炊事をしたり外から帰った際に足を洗ったりするために使われていました。そのようにして居住空間と火と水廻り空間とを分けることで、防火性と防水性を担保し、長く使えるようにされていました。土と床との両面ある造りということで、古代の竪穴式と高床式の機能を併せ持った造りのようにも感じます。
こうした造りは明治時代初期頃の近代まで一般的であったようです。
明治以降には、文明開化が進む中で建物にも西洋風の建築が様式が入り、石造,レンガ造,コンクリート造,鉄骨造など、これまでの日本にはない構造の造りが多く誕生し、建築の世界でも多様化が進みました。現在でも東京の街並みには明治当時の建物が残るところが多くあり、それらを見ると木造住宅にしか馴染みのなかった当時の日本人にとって、ある意味奇異な建物として感じられたのではないかなどと私も想いを馳せます。
3.まとめ
今回は、日本の住宅を古代から近代までお伝えしてきました。伝統的な日本の住宅の主要な構造自体は、実のところ古代からそれほど大きく変わっていません。この日本の気候風土にあった家づくりをその当時からおこなっていたとも言え、古代の人たちの高い建築技術をもっていたことに驚きます。古代から現代まで住宅の歴史はしっかりとつながっているのですね。
では、今回は以上とし、次回は戦後から現代の住宅についてお伝えしたいと思います。